季節の刻
久保田 沙耶 展 「とめどないかたち -Work in progress forever-」
板室温泉大黒屋では、2021年7月2日(金)より7月31日(土)まで、久保田沙耶の個展、「とめどないかたち-Work in progress forever-」を開催いたします。久保田は、日々の何気ない光景や人との出会いによって生まれる記憶と言葉、それらを組み合わせることで生まれる新しいイメージやかたちを作品の重要な要素としている。焦がしたトレーシングペーパーを何層も重ね合わせた平面作品や、遺物と装飾品を接合させた立体作品、さらには独自の装置を用いたインスタレーションなど、数種類のメディアを使い分け、ときに掛け合わせることで制作を続けています。代表的な展示に、個展「Material Witness」(大和日英基金)や、アートプロジェクト「漂流郵便局」(瀬戸内国際芸術祭2016)などがあります。久保田は、様々な土地で滞在制作し現地で出会った人、事、土地の歴史などをきっかけに作品を制作しています。本展は、久保田が展覧会前の2021年6月に約2週間、板室に滞在し制作した作品26点に、旧作4点によって構成されます。
WORK IN PROGRESS FOREVER とめどないかたち展 に寄せて
「川から良い石を拾ってくるのも仕事のうちの一つなんですよ。」滞在制作3日目に板室温泉大黒屋のスタッフである羽田野さんが教えてくれた。確かに庭には「ご自由にお持ちかえりください」と書かれた札と、特徴的な石が置かれている。青、赤、黒、灰、緑。ざらざら、つるつる、ごつごつ。こんなに違うものだっけ?と驚くほど、色も質感も形もさまざまだ。
石をきっかけに地形を調べてみることにした。ここ板室温泉大黒屋は標高541メートル。地質は約170万年前〜70万年前に爆発的噴火によって高速で流れ下った軽石や火山灰(火砕流)によって成り立っており、大黒屋の目の前を流れる那珂川は那須岳の三本槍を源山とする。大きく分けても約15万年前から現在に至るまで噴火した火山の岩石による地層(安山岩、玄武岩類)や約1万8000年前〜現在に形成された最も新しい時代の地層(海成または非海成堆積岩類)、約700万年〜170万年前にマグマが地下の深いところで冷え固まった花崗岩質の深成岩による地層などからなる。これらが谷底になだれ落ち、流れ着いたものが川辺に転がっている石だ。これらは、大黒屋のなんでも知ってるタモリさんこと、スタッフの相馬さんに教えていただきながら調べた。石があんなにも特徴的なのも納得だ。川はそのまま栃木県東辺部を南に流れ、芳賀郡茂木町で東に向かい、茨城県を南東に流れ、ひたちなか市と東茨城郡大洗町の境界部で太平洋に注ぐ一級水系那珂川の本流である。
その川から選び抜かれた石は、アート観賞の宿としても人気な館内に置かれるたくさんの作品に負けじと、ユニークな姿を誇らしげにたたえている。「自分の選んだ石を誰かが持って帰ってくれると嬉しいんですよね」と羽田野さんは可愛らしく笑う。
なんとなく私もそんな作品みたいな「良い石」を探してみたくなった。せっかくなので、この板室温泉大黒屋の象徴とも言える「○△□」の形を手掛かりに石を探してみることにした。ところがこれがとってもむずかしい。何日探してもぴったりの石が見つからない。あんなにたくさんあるのだからすぐに見つけられると思っていたが、どれも絶妙に歪なのだ。そうか想像通りの石なんてあるわけがないのか、と気づきはじめたとき、石がひとつひとつ誰かの体のかたちのようで面白く感じはじめた。この石たちは「途中のかたち」。正円も正三角形も正方形もない。そして石をさがす私の体も、いま絶賛途中なのである。
今回滞在させて頂いた部屋には個人用の温泉がついていて、常に湯船からたぷたぷと温泉が流れ続けている。ザブンと入って出てみれば、数センチ分お湯がなくなる。これが私の量だ。数時間後には私ぶんの温泉は当たり前のように満たされてせせらぎはじめるが、それはおなじ温泉ではない。石と温泉をきっかけに、わたしはここ板室の地形全体にまるでひとつの身体をみた気持ちになった。
結局石は滞在時間に限りもあるので3つに絞った。相馬さんによると◯花崗岩、△は火山岩、□は凝灰岩だそうだ。これらがあの雲の向こうに見える青い山から流れ落ちてきて、太平洋への道すがら私につかまり、この形をとどめた。なんだか嬉しくなって、質感と色と重さを楽しみながら色鉛筆でできるだけ細かく描写してみる。こうして描いていると、まるで星のようだ。
調べてみると、地球の重さは約6000000000兆トン。そして驚くべきことに、地球上で生命がどんなに生まれても、または死んでしまっても、地球全体の重量はほとんど変わらないらしい。なんだかただごとではないような思いに浸される。まるで地球は乾かない大きな粘土で、当然ながら人間もふくめ石も植物も動物も、すべてのものは地球上にもともとある物質のかたちを変えて作られている。そんな土塊が自分の身体になっているのならば、極論あの野鳥もその石もこの作品もみんなおんなじじゃないか、と思えてくる。そんな馬鹿げた考えの奥にもぐったまんま、制作をつづけた。
いのちはいつも死んだもの、ちらばったものからやってくる。そしてひととき、ひとつの形として集まり道行きを歩んだのちに、ふたたび死んだものへと解体されていく。そのようなものたちを作り出してくる生命のめぐりを思っただけでも、この世界をあらわすことはずっとできそうにない。
ただ、五感が研ぎ澄まされていくこの宿で拾った石、自分の気配の残るお湯、磨かれ続けたタイル、そんな細かな手触りが走馬灯のように蘇ってくる。ありとあらゆる質感を愛でるように辿っていけば、私はとりあえず今ここにいるのだと分かる。これからも我々は最後のかたちを知ることはない。そんなずっと途中の私たちの断面図をここに残して、いつかまた筆を加えに訪れたい。
2021年6月 久保田沙耶
久保田は1987年茨城県生まれ。筑波大学芸術専門学群構成専攻総合造形、東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻油画修士課程修了、同博士号取得。2014年にテラダアートアワードでミヤケマイ賞を受賞した。代表的な展示に、個展「Material Witness」(大和日英基金、ロンドン、2016)や、アートプロジェクト「漂流郵便局」(瀬戸内国際芸術祭2016)など。主著に『漂流郵便局』(小学館、2014)、『漂流郵便局 お母さんへ』(小学館、2020)がある。
作家在廊予定日 : 7月 2, 3 10, 31日