季節の刻
田幡浩一 展 「起こらなかった出来事」
板室温泉大黒屋では、2026年4月29日(水)から5月31日(日)まで、田幡浩一展「起こらなかった出来事/Things that didn’t happen」を開催いたします。当館では初めての個展となります。
田幡浩一は、栃木県宇都宮市出身、現在はベルリンを拠点に活動する美術作家です。絵画やドローイングを中心に、フォトコラージュや映像などを用いながら制作を行っています。本展では、絵画を軸としながら、これまでに取り組んできたフォトコラージュや映像作品など、あわせておよそ30点を展示いたします。
2016年以降、田幡は「one way or another」と題したシリーズに取り組んできました。本展では、その展開として、二連パネル上にズレを取り入れた絵画を中心に構成されます。空のグラデーションや雲の流れ、果物や花といった身近なモチーフが描かれた画面は、二枚のパネルの継ぎ目においてわずかに噛み合わず、そこには意図的なズレが残されています。また、同じ対象や瞬間が、ほとんど同じ構図で描かれた油彩作品も並び、ズレがどのように現れるか、その違いが比較できる構成となっています。「one way or another(いずれにせよ)」という言葉が示すように、そこにはひとつの像になるまでの複数の可能性が含まれています。同じものを見ているはずでありながら、わずかに異なる像として立ち現れること。そのズレは、ひとつの出来事が成立することの不確かさを静かに示しています。
本展のタイトル「起こらなかった出来事」は、そうした状態に向けられた言葉でもあります。展示は絵画を軸としながら、フォトコラージュや映像作品へと広がります。写真を折り曲げ、裏面の白を露出させるコラージュ作品では、像は反転し、表と裏が入れ替わります。展示全体の中でもコラージュは大きな比重を占め、絵画と並行しながら、像が確定しない状態を別のかたちで示しています。また、売れ残った果物などを写した映像作品では、出来事の後に残された断片が映し出されています。作品はいずれも、完成や結論へと向かうものではありません。板室という環境の中でそれらの作品に向き合うとき、私たちは何を見ているのか、あるいは見ていなかったのか。そのような感覚に、ふと触れることがあるかもしれません。どうぞご高覧いただけたら幸いです。
作家自身の言葉を、あわせて掲載いたします。
皿の上のレモン、ガラス瓶の花、移ろう空。
同じ瞬間を、わずかに異なる角度から、同じ対象を何度も描いてみる。
それらの像は互いに似ていながら、完全には重ならない。
ひとつに収束することなく、差異を含んだまま並んでいる。
二枚のパネルにまたがる絵では、ひと続きの像が現れているように見える。
しかし接合部には、わずかなズレが残る。
そのズレによって、像はひとつの出来事として閉じきらない。
画面にあるのは、確定した出来事ではなく、
起こり得たまま、選ばれなかった時間の重なりである。
見るという行為は、そのどれかを選び取ることではなく、
むしろ選ばれなかったものの気配に触れることに近い。
写真のコラージュ作品では、写真を折り曲げ、裏面の白を露出させている。
像は反転し、表と裏が入れ替わり、背後の余白が前面に現れる。
残された果物だけを写した映像作品には、
すでに出来事が過ぎ去った後の、存在と不在が断片的に連なっている。
「起こらなかった出来事」とは、
本来、見えないまま通り過ぎていくものの名前である。
ひとつの像が成立する過程には、成立しなかった無数の像が含まれている。
それらは通常、画面の外に押し出される。
本展では、それらをずれや差異として画面上にとどめている。
絵画はここで、確定しなかったものを引き留める場となる。
田幡浩一